V6の解散に寄せて 恋心にも似た何かのために

自分の心の整理のためだけに今までの気持ち、今の気持ちを書き記しておきたい、それだけで書き連ねたものです。

あくまで自分のためだけに書いた文章なので、個人の意見しかありません。注意書きが必要な方は閲覧を避けていただけるとありがたいです。
 
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V6が好き。ずっと、子どものころから。
「わたしはこのひとたちが好きなんだな」と思ってから20年以上になる。
ただし、その20年間同じ熱量でもって好きでいられたかというと、それは違う。だけど、温度を変え、気持ちを変え、自分のライフスタイルに沿う形でずっと好きで居続けた。
 
わたしは「好き」はたくさんあればあるだけ自分の人生を豊かにしてくれると思っている。幸せなことに、それなりに人生を歩むうちにわたしはわたしの「好き」がたくさんできた。
だけど、いちばん最初に確かな情熱を持って自分の持ちうる愛を注いだ対象、それがV6だった。
だからわたしにとってV6はずっと特別なのだ。自分のこころのなかの、ぴかぴかにしてある棚の、いちばん取り出しやすい引き出しが定位置で。時折取り出して眺めて「やっぱりなんていいものなんだろう」って「好き」を確かめたり。すぐに触れられる場所に飾っておいて、毎日愛でたり。そんなふうに、わたしなりに大切にしてきた存在なのだ。

アイドルの寿命が延びた今、なんだかんだいっても、きれいに終われることが幸せなことであるのは間違いないと思う。いつかは今までと同じパフォーマンスができなくなってしまう。それは、メンバーはもちろん、わたしたちファンも理解していることだ。
三宅さんが言っていたように、「よぼよぼになっても続けることが果たして正しいのか」というところもそう。ファンとしては、「歳を取ってもボックスステップなら踏めるか」と言って笑ってたことを思い出して切なくはなるけれど。今回の大きなきっかけがなかったとしても、エンターテインメントの世界に生きる人間として、いつかはこうした決断が下されることになったのではないだろうか。
 
今回のことのきっかけが森田さんの意思であることを知った瞬間、わたしが一番最初に抱いた気持ちは「(よくはないけど)よかった」だった。
わたしの知りうる限り、V6のファンは特定のメンバーが好きだとしても基本的に『V6』という存在自体を愛しているタイプのひとが多い。そして、森田さんをいちばんに好きじゃなくても、『V6の森田剛』を特別に想っているひともまた、多い。わたしもそのひとりだ。
V6の絶対的センターである、あってほしい、あり続けた、森田さんがきっかけであるならば、それを受けてV6がそう決めたのであれば、それは、もう受け入れるしかないことなんだ。
 
でも、複雑な想いを抱いたひとも少なくないだろうということもわかっている。
森田さんて、ほんとうに嘘がないひとなんだよね。ずっと。でもね、人間だから。嘘がないながら、変わりながら生きている。
10周年の時、森田さんが「応援してくれている人がいる限りV6を守っていきたい」って言ったこと、わたしは忘れられないし、その時の森田さんの言葉は絶対に嘘じゃない。
どんな物事に対しても、自分の気持ちがなにひとつ変わらずに生きていく人間なんていない。時間を経て、経験を積んで、人は成長していく。変わっていく。
 
V6も、変わっていった。きらびやかなわかりやすいアイドルから、円熟の域に達した大人のアイドルへ。
若かったころに確かにあった、飢餓感やざらつき、身体を張った力業のパフォーマンス。(彼らがいつか言っていた「肩で風を切っていたころ」って表現が好き。笑)発展途上であったグループから、年月を経て、個人で得た経験を踏まえて、挑戦的なものも含めて幅のある魅力的な楽曲たちと共に、ゆるやかに、不必要な力の抜けた魅力的な大人な集団になった。
 
そうして新たなアイドル像を作り上げたことは間違いないけれど、アイドルは不変であること、どこか不完全であることすらを求められるのが常だ。
V6はいわゆる国民的アイドルグループという存在ではないかもしれないけれど、アイドルが目指さなければならないところには間違いなく到達していたと思う。
 
常に前を向き、停滞が許されない、変わり続けなければならない世界で生き続けているのだ。
でもわたしたちは変わらないものを求めてしまう。そして、それがV6であってほしかった。
だけど知っているから。生きていくうえで、変わっていくこと。変化の先にまた、なにかがあること。
であれば、次のステップへ、と思うのは一人の大人の男として当然のことだろう。
(もちろん、変わるものもあれば、変わらないものも当然あるのだけどね)
 
普通に生きていても、そうだよね。「ずっとこのままでいいのか?」「自分はこれからどう生きていくのか?」と過去を振り返って未来を見据えることは、どんな形であれ、誰もが必ず考えて通る道のひとつだろう。
そのなかで、V6をこんなに長い間守ってくれた。愛を与えてくれた。
 
特に、コンサートに行ったときや、コンサート映像を見ているとき、確かにわたしたちは愛されているのだな、と感じることができる。
間違いなく、そこには約束があって、情熱があって、愛がある。そして、ほんの少しばかりの憎悪や嫉妬と、虚像に裏打ちされた嘘と、それから、真実も。渦巻く万単位の情念が圧倒的なパフォーマンスを前にすべてねじ伏せられ、わたしたちはなす術もなくその熱に飲み込まれる。そしてこの一瞬のきらめきが永遠であると、それ以外何も望まないと、思わせられるのだ。
 
ありがたいことに、今回のツアーにも行くことができて、やっぱり、そう思った。V6がV6たる瞬間があるだけで、他にはもう何もいらないって。これだけでいいの。わたしがほしいものは、大切にしていたものは、これだけだって、なんどもなんどもそう思いながら、わたしたちのために命を燃やしてくれているV6に応えるように必死でペンライトを振って、拍手をした。
 
こちらは6人にだけ愛を向ければいいけど、向こうは万単位で愛を与えなくちゃいけないんだから、大変だよね。それはどんなに心をすり減らす行為なんだろう。途方もないほどのものたちを犠牲にしながら、V6でいてくれたのだろう。わたしには想像の及ばないくらいの、苦しいことがたくさんあったと思う。たぶん、V6であるがゆえに諦めてきたことも、きっとたくさんある。その分、常人なら見えることのない景色をたくさん見てきたのだろうとも、思うけれど。
 
V6とファンは、言葉を選ばずに言えば、時にけんかもしたと思う。
お互い、お互いの存在なくしては生きられないのに。愛があるからこそ、好きだからこそ。仲の良い友人同士で意見が食い違うように。なれ合った恋人同士で時に思いやりが欠けてすれ違うみたいに。「けんか」というと彼らは一方的に言われるばかりでなかなか本音を発信することができないから、ちょっと違うかもしれないけど。
でも、ああだこうだ好き勝手に発言はできても、(この髪型いやだな、とか、髭剃れとかね。笑)わたしたちはV6が決めたことはすべて受け入れるしかない。決定権は常に向こうにある。それは、どんなことでも。髪型だって髭だってコンサートだって衣装だって新曲だって。それから、今回のことみたいに人生における大きな決断だって。
V6はわたしたちファンの人生に大いに関わっている。そして、わたしたちファンがV6の人生に大きな影響をもたらしていることも間違いない。でも、わたしたちはその歩む道そのものに干渉して関わることはない。だから、時々忘れられちゃうことがあったのかなって思う。わたしたちがファンという集合体ではなく、本当は個であることを。
だけどちょっとだけ傷つくそのたびに、わたしも思い出す。ちゃんとV6はそうあるべき場所でアイドルとしてわたしに愛をくれていたじゃないって。わたしが望んでいるのはそれだけだって。

あとさ、これは愚痴であり、のろけでもあるんだけど、結構あのひとたちって「わかってくれないかもなあ。ま、わかってくれなくてもいっか」みたいな思考がたまーーーに見え隠れするときがあった。
だけど、決定権がないかわりに、わたしたちには選ぶ権利がある。わたしたちが離れようとしたとしても、V6にはそれを引き留めることはできない。
それでも好きでいたんだ。そんなふうに内向きでいる6人を好きになったんだ。好きで居続けたんだ。
V6のファンはね、V6が内向きのサークルで歌って踊って、笑い合っているところを外から見ているのが好きなんだよ。
 
もちろん「わかってほしいから、ちゃんと伝える」ことをしてくれていることも、理解している。今回は特にそれをすごく感じた。岡田さんが言っていたように、最後まで新しいV6を探しながら、ほんとうに、最後の最後まで愛だけくれた。愛しかくれなかった。
 
喜びも悲しみも愛も慈しみも笑顔も痛みも癒しもすべてV6が与えてくれた。
V6がきっかけで知り合えたひともたくさんいる。子どもの頃メル友になってたくさんバラエティや歌番組の感想を言い合ったお姉さん。V6の最新情報をたくさん教えてくれたお姉さん。みんなでおしゃべりする掲示板でいつも構ってくれたお姉さん。
ちょっと大人になってから、生まれて初めて作ったファンサイトで知り合ったひとたち。拍手やブログや掲示板で遊んでくれたひとたち。顔も知らない、会ったこともないのにやさしくしてもらった思い出しかない。それから、実際に会って遊んでくれたひとたちもいる。
V6そのものから与えてもらうものだけでなく、それを取り巻くものとして新しい出会いもたくさんもたらしてくれた。
 
2021年11月1日のコンサート、最高だった。わたしたちを誇らしく思ってくれているみたいに、わたしもV6を好きになれたことを誇りに思うよ。
6人が最後にそれぞれくれた言葉たち。
最後まで、どこまでもかっこいい新しいV6。
わたしたちだけにくれたエンドロール。また大切にするものが増えた。
みんなずっとこらえながら、笑顔だったから、わたしも泣かなかったよ。
そのあとの健ラヂの通常営業っぷりに驚いて、そして、笑って安心した。
ちょっと、変わるだけ。変わらなければならないときに、少し形を変えるだけなんだ。
 
今日は2021年11月2日。まだ見ぬV6に出会うことはもうない。共に未来を歩むことはできない。だけど、わたしたちには26年分の思い出がある。
昔の映像を見ているとね、ふと冷静になって「そういえば、この頃のメンバーの誰々より今のわたしって年上なんだなあ」とか、思うことあるんだけどね、でもね、不思議とそんな感じがしないの。わたしにとっていつの時代の彼らもずっと年上のお兄さんで。
それは、彼らのビジュアルがあまり変わらないまま保たれていることもあるんだろうけど、一番はやっぱり、「その時代のわたし」に戻っているんだと思う。
26年分、残してくれたものがある。映像を見れば、音楽を聴けば、すぐそこにV6はいて、そして、「あのころ」に連れて行ってくれる。
 
まーくん、ひろし、よっちゃん、ごうくん、けんくん、じゅんくん。
これからも応援しているので、元気で、幸せでいてください。
そちらの方はね、わたしたちのことをそんなにしょっちゅう考えてくれなくていいし、なんならあんまり思い出してくれなくてもいい。でも、忘れないでね。V6が大好きな、わたしのこと。わたしたちのこと。忘れないでいてさえくれれば、それでいい。それはきっと大丈夫だよね。
 
これから抱えて生きていくには十分なほどの思い出をもらったから、それを引き出しに仕舞ってたまに取り出したり、棚に飾って毎日愛でたりしながら、これからもわたしのペースで大好きでいるね。
 
V6はわたしにとって、
いつもそばにいる大切な親友で、
さみしいとき寄り添ってくれる仲間で、
片想い中の好きな人で、
憧れの先輩で、
軽口を言い合うクラスメイトで、
爽やかな近所のお兄ちゃんで、
励ましてくれる同僚で、
たまに会って近況を話す地元の友達で、
何も知らない遠くに感じるただの他人で、
それからきっと、恋人で。
 
そのすべての役割を担うことができる唯一無二のアイドル。
これからも、ずっと。
 
V6、26周年おめでとう!またね。